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空と星と私達

≫2012年05月

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バレンタインにまごころを(1/4)

「新しい子が来るんですか?」
「ええ、そうよ」

とある研究所の一室において、初音ミクをはじめ、家族全員が揃っている。ボーカロイドなのに家族というのもおかしな話かもしれないが、目の前にいる彼女―みんなは博士と呼んでいる―の意向によるものである。
まずはじめに話題に飛びついてきたのは鏡音リンだった。

「博士、妹?弟?」

やはり姉になるかもしれないということからなのか、目をキラキラと輝かせている。そんな期待の眼差しを向けられたのか、彼女はやや気まずそうにこめかみに手を当てていた。

「あー、悪いけどね、次の子は設定年齢がリン、あなたよりも上なのよ」
「えー、つまんない」

リンは口を尖らせて、不満全開といった態度を現している。よほど楽しみにしていたのだろう。リンのぶすっとふてくされた態度はしばらく収まりそうになかった。そんなリンをミクやレンがおだてていく。

「まあまあリンちゃん」
「リン、落ち着きなよ」

やや不満そうに頬を膨らませてはいたが、子供じみた態度に気づいたのかおとなしくなっていた。背伸びしてみたい年頃なのだろうか、それとも本気で妹や弟が欲しいからなのかは分からないが。
ちょっとした騒ぎも終わって、全員が彼女のほうに視線を向けている。白衣を着た彼女は話を促されていることを理解して、小さな咳払いとともに話を進めることにした。

「新しい子の名前は巡音ルカ。これが画像ね」

モニターにルカの姿が映し出され、小さなざわめきが起こる。顔立ちに幼さは残しているものの、十分に発育した身体は大人そのものだ。
これには予想外だったのか、ルカに視線が集まる。まず最初に口を開いたのはメイコだった。

「へえ、まあ酒飲み仲間ができてよかったかも」

メイコらしい発言に場の雰囲気が和んでいく。小さな笑い声が上がったあたり、歓迎する様子であるらしい。
その様子に満足したらしく、白衣の彼女は穏やかな笑みを浮かべていた。

「みんな、ありがとうね。とりあえず用件はこれだけ。何か質問とかある?」

質問を促されたが、特に反応はないようだ。どうやらこれで解散らしい。ざわめきの残る中、リンはミクに声をかけていた。

「ミク姉も妹ができなくて残念だったよね。まあ、あんな美人さんじゃしょうがないけどね。…ってミク姉?」

ミクと同じ立場で嬉しかったのだろう。軽口を叩いてミクに同意を求めるが、どうもミクの様子がおかしい。
ミクの目の焦点は合っておらず、意識もはっきりしていない。リンはミクの目の前で手を振るが、ぼうっと呆けた表情をしたまま突っ立ったままだ。

「おーい、ミク姉?」
「…きれい」
「はあっ!?」

ミクの口から思わず漏れて出た言葉にリンは耳を疑ってしまう。寝ぼけているのかと思ってみたが、そのようなことはないらしい。
とにかく、ミクが正気か確かめようとミクの頬をむいむいと引っ張っていた。

「ミク姉大丈夫?ちゃんと起きてる?」
「いひゃい、いひゃいよひぃんひゃん」

ミクは悲鳴を上げながらじたばたと手を動かして、なんとかリンから逃れようとする。
しかし、ミクの反応が面白かったのか、上機嫌でなかなかリンは手放さない。結局、ミクが逃げ切るまでリンはミクの柔らかな頬を堪能していた。

「あー、楽しかった!」
「痛いよリンちゃん…」

赤く染まった頬を抑えて、ミクはキッと睨み付けるがたいして効果はないようだ。無邪気ないたずらっ子のような笑顔で特に反省している様子もなく、リンが問いかけてくる。

「それでミク姉、どうしてボーっとしてたのさ?」
「ボーって、なんかおかしかった?」
「…自覚なかったの?」

どうやら先ほどまでの自覚がなかったらしく、ミクは首を傾げているばかりだ。これにはリンも驚いて呆れるばかりで、大げさに天を仰いでいく。
とはいえそれでは話が進まないので、リンは思い切り睨み付けていた。先ほどの問いに答えろということらしい。
そんなリンの出す空気に気づいているのかいないのか、ミクはどこか遠い目をして見つめていた。

「ルカさんってきれいだね」
「うん、そりゃ見違えるくらいの美人さんだったね。で、それで?」
「それだけ」
「へっ、それだけ?」

もっと壮大なことを期待していただけに、リンは肩透かしを食らっていた。
一方でミクの熱い視線は止まらない。巡音ルカ。その姿を一目見たとたんに動きが止まっていた。
もし、一目惚れという言葉を信じるならばこういうことかもしれない。
一度も見せたことのないミクの姿に、リンは戦慄を覚えている。と同時に、ミクを一目でこれほどまでにしてしまうルカに嫉妬すら覚えていた。
だから、くやしさ紛れにもう一度ミクの頬を引っ張っていく。これが今のリンにできる精一杯の愛情だから。

「リンちゃん、だから痛いってば!」
「へへー、ミク姉がボーっとしてるのが悪いんだよ!」
「リンちゃん!」
「ミク姉が怒ってるー」

ミクが声を上げたところで、リンは手を離して逃げ出すように部屋を飛び出していた。
あっという間の出来事にミクはぽかんとしている。
部屋に残っているのは、白衣の彼女とミクの二人だけだ。彼女の何やら暖かい視線に気が付いて、ミクは何とはなしに思ったことを口にしていた。

「博士、リンちゃんどうしたんでしょうね?」
「そうね。しばらく一人にさせたほうがいいかもね」
「でも博士、リンちゃんなんとなく悲しそうだったんですけど」

…するどい。自分自身には多少鈍いところはあるが、こういうことには気付くのは早い。彼女の脳裏にそんなことが思い浮かぶ。
しかし、ミクにリンを追いかけさせるわけにもいかない。追いかけさせてもリンが傷ついてしまうばかりだ。最悪ミクが傷ついてしまう可能性だってある。
リンもこれだけ大切に相手を想うことができるのだ。きっと新たな出会いがリンに活力を与えてくれる。
だから今はそっとさせておこう。彼女はゆっくりと立ち上がると、まるで自分の子供をあやすようにミクの頭をやさしく撫でていた。

「リンのことなら私が見てくるわ。だから、今はそっとしてあげて」
「でもリンちゃんが…」
「ミクは優しいね。でも、覚えておいて。中途半端な優しさは相手を傷つけることもあるって」
「…はい」

この優しさが残酷であることを伝えるのは難しい。しかし、今のミクには教えなければならないだろう。厳しい言葉の後に彼女は微笑みかける。
彼女の瞳には覚悟の意志が込められていた。その眼差しがおぼろげではあるが、ミクに自分のしたことを理解させたようだ。
心なしか落ち込んでいるミクを励まそうと、彼女はふんわりと壊れ物を扱うようにミクを抱きしめる。かすかに震えるミクの背中をポンポンと叩いてその日の終わりを迎えていた。

…ここまでが半年ほど前のお話。
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バレンタインにまごころを(2/4)

それからは何かを吹っ切るようにミクは毎日研究所を訪れていた。
リンとの関係は微妙ではあるが、ぎくしゃくしているわけでもない。以前のようにとはいかないけれど、それなりに話し相手になってくれている。リンもまた吹っ切れてくれたのだろうか。
不安はまだ残っている。けれども、ミクはルカに会いに来ていた。ミクはルカを選んだ。ただそれだけのことだ。このままリンに気を使っていてはリンに失礼である。だからこそリンは普通に接しているのかもしれない。
リンの中ではもう終わったことだ。これ以上はリンの新しい出会いを妨げる鎖になってしまう。
なんとなくあの時の彼女の言葉を思い出して、ミクは苦笑いを浮かべていた。そのままルカを見やる。ルカはまだ眠ったまま動かない。

「博士、またルカちゃんの声を聞かせてください」
「ええ、構わないわ。ずいぶんと熱心ね?」
「はい!少しでもルカちゃんのこと、知りたいんです」

そう言ってミクはモニターの前に座り、ヘッドセットにプラグを取り付ける。まだまだサンプルの段階ではあったが、ルカの声をじっくりと堪能していた。
ルカの一つ一つを知っていくたびに、ミクは心躍らせる。

「楽しそうだね?」
「もちろんです!博士、ルカちゃんはいつ動くんですか?」
「んー、まだまだ先だけど…、やっぱり待ちきれない?」
「はい!」

キラキラと光る二つの双眸が意味するものは感情というゆらぎといった不可解なものに他ならない。
歌うために作られたVOCALOIDだからこそ必要不可欠なものであるが、まだまだ危なっかしいのは言うまでもない。
けれども、彼らの成長を見るのはとても楽しいと彼女は思う。楽しいこと悲しいことといった喜怒哀楽が彼らの歌声に深みを与えてくれる。
これを親心というべきか。

「そういえば博士。ルカちゃんへの自己紹介ってどうすればいいんでしょうね?」
「普通に初めましてでいいんじゃないの?一応、ルカのメモリーにはみんなの簡略データは入ってるけど」
「えー、でも、わたし緊張しちゃって何も話せないですよ」

なぜか緊張でがちがちになっているミクの姿が容易に想像できて、白衣の彼女は吹き出してしまう。
それが不服といわんばかりに、ミクは不機嫌であることを隠そうともしない。
もちろん、ミクが本気で怒っているわけではないことは分かっているので、彼女は茶化すような悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「…そんなに笑わなくたっていいじゃないですか」
「ごめんごめん」
「謝るくらいならなんか考えてくださいよ」
「そうねえ…」

ミクは口を尖らせたまま、慣れない鋭い視線を投げかける。当然ながら迫力というには物足りなく、彼女は澄ました表情で何やら考え込んでいた。
まじまじと見つめるミクの視線は本気であることを物語っている。
ルカに対する恋心がミクをここまで動かすというのなら、全力で応援したくなるものだ。
こんなことを考えているあたり、本気で親ばかなのかもしれない。クスクスとわずかばかり微笑むと、彼女の口から一つの提案が出てきた。
それはとてもシンプルな提案。ただ、それはミクにとって魅力的であったらしく、ミクはそこからあれやこれやと練り上げていく。
ミクはいろいろと考えるのが楽しいようで、その表情は生き生きととても楽しげだ。

それがミクとルカが出会う前のお話。

バレンタインにまごころを(3/4)

時は流れて二月の初め。ルカが稼働してまだ月日は余りたっていない。一応、常識とかはあらかじめ入っているものの、それでも知っているのと経験するのでは大きな違いだ。
見るもの聞くもの触れるものすべてに、自分の生まれた世界に感動している日々を送っている。
中でも、いきなりミクに告白されたのは新鮮そのものだった。
生まれたばかりの自分に向けられた感情。そこから生まれたほんのりと温かい感情。
巡音ルカにはまだ自我といった感情は発達していない。だからこそミクの好意をすんなりと受け入れることができたのだろう。
このことがルカにどのように影響するかはまだ分からない。けれども、ルカにとってそれは決して悪くなかったといえるかもしれない。

「………?」

廊下を歩けば不意に何か物音がして、ルカはぴたりと足を止める。どこからかと耳を澄ませばこの先にある調理室のほうだ。
不思議に思って調理室を覗き込むと、中ではミクがただ一人一所懸命に作業に没頭している。
何やら小難しい表情をしているが、瞳は生気で満ち溢れていた。

「ミクさん、とても楽しそうですね?」
「にゃわぁぁっ!?」

とてもVOCALOIDとは思えない叫び声を上げて、ミクは背筋をまっすぐに伸ばして身体を震わせる。
何か悪い事でもしたのだろうか。きょとんとしながらルカはミクをじっと見つめる。
理由は分からないが、ミクは荒い息を吐きながらボールを抱えていた。手を滑らせてしまったのだろうか。
自分が声をかけたことで邪魔をしてしまったのなら、それは悪いことなのかもしれない。

「あの、すいません。なんだか邪魔をしてしまったようですね。失礼しました」
「待って!違うの!ルカちゃんのせいじゃなくて、その、とにかく待って!」

部屋を出ていこうとしたところを呼び止められて、ルカはドアのノブに手をかけていたのをぴたりと止める。
なぜだろう、単純に迷惑でないと言われたことが嬉しい。
振り返れば、ミクは後ろにある調理道具一式を隠すように立っていた。いまいちミクの行動がよくわからなく、ルカは首を傾げてしまう。

「それでミクさん、大丈夫ですか?」
「あ、うん。…ってそうじゃなくて、悪いのはルカちゃんじゃないの。ずっと内緒にしてたわたしなの」
「内緒って何がです?」
「ほら、もうすぐバレンタインでしょ?せっかくチョコレート作ってたんだけど、ルカちゃんを驚かせたくて…」
「バレンタイン?」

話の流れから大体のことは予想が付きそうではあるが、ルカはきょとんと瞳を瞬かせたままだ。
ひょっとしてという思いがミクの脳裏に過ぎる。

「もしかして、ルカちゃんバレンタインのこと知らないの?」
「はい、バレンタインとか何なのですか?」

大真面目に言っているあたり、ルカは本気なのだろう。
いくら何をしているか気づかれていないとはいえ、大慌てで隠したのはさすがに恥ずかしいものはある。
そして、それが気になったのかまじまじと見つめてくるルカの好奇の視線は非常に耐えがたい。
おそらく、ミクが説明してくれるのを待っているのだろう。ルカはずっとそこに佇んだまま一歩も動こうとしない。
こうなれば話すほか仕方なく、ミクは諦めたようにため息を吐いていた。

「あのねルカちゃん、バレンタインというのは好きな人とかお世話になっている人にチョコレートを上げたりする日なんだよ」
「そうですか。それで…」
「いや、まあ、うん。ルカちゃんにチョコレートを上げるために作ってたんだけど」

やはり一から説明するのは照れ臭いのか、ミクの頬はほんのりと赤い。
もちろん、今言った言葉は聞きかじり程度のうろ覚えでバレンタインの在り方など知る由もない。
それでも自分の気持ちは知ってもらいたかったし、どさくさに紛れて告白に似た何かを伝えられたことに笑みをこぼす。

「ありがとうございます。それでミクさん、どうしてバレンタインにチョコレートを贈るのでしょうか?」
「…へ?」

多分、今自分の顔を鏡で見てみたら相当に間の抜けた顔をしているであろうことをミクは自覚する。
唐突にルカの口から出てきた意外な言葉にミクは頭を悩ませていた。
バレンタインといっても、製菓会社の陰謀といわれていたり、国によって文化が違ったりと様々だ。
当然ながらミクにそのことが上手く説明できる由もなく、代わりにどうしてルカがこんなことを聞いてきたのだろうと考え方を切り替える。

「あの…、ルカちゃん?急にそんなことを聞いてきたりしてどうしたの?」
「どうしたのって、チョコレートのことですか?」
「うん」
「…その、チョコレートとか贈る由来を知らないと、ミクさんにチョコレートを送れないじゃないですか」

予想の斜め上とは時間を止めてしまうものらしい。丸い目がさらに丸くなったのを自覚して、ミクの中でルカの言葉が反芻していく。
脳内にじんわりと染み渡っていくのが分かるくらい、ミクは感情の昂りをはっきりと意識していた。

「ルカちゃんそれって…」
「はい、ミクさんにはとてもお世話になっていますから」
「…そうだよね」

あくまで冷静に話すルカに、ミクは思わず項垂れてしまう。期待込めた自分が少しばかり馬鹿らしかったが、少しくらいは近づけたのかと自分に言い聞かせる。
一方で、ルカはそんなミクに戸惑いを覚えていた。
なぜミクががっかりしているのかは分からない。けれど、ミクが項垂れているのを見るとなんだか胸のあたりがじわじわと苦しくなっていくのを自覚する。
先ほどは「お世話になっている」という理由がすんなりと出てきたが、これにもルカは驚いていた。
どうしてミクにチョコレートを贈ろうと思ったのだろう。
確かにミクには世話になっている。だからといってこれほどまでに自発的にならなくてもいいのではないか。

「まあいいや。ルカちゃん、チョコレート楽しみにしているからね」
「…はい」

そんなルカの内情などつゆ知らず、ミクはそう言い残して作業に戻っていく。
すぐに作業に没頭しているあまり、まるでさっきのやり取りのことなど忘れてしまったようだ。
ただ、一所懸命なミクの姿はほんの少し前まで悩んでいたことを吹き飛ばしてしまう。
わずかながらに唇の片端を釣り上げて、ルカはその場に釘づけにされるようにミクをじっと見守っていた。

バレンタインにまごころを(4/4)

ついに迎えた二月十四日、ミクはチョコレートを取りに冷蔵庫へと向かう。
今日という日を心待ちに胸を躍らせながら冷蔵庫の扉を開ける。自分のをすぐさま取り出して、中を覘いてみれば見知らぬ包みが三つほど。

「…誰のだろ?」

当然ながら誰のものかはある程度想像はついている。気になったのはただの野次馬根性名だけだ。
思わず手に取ってしげしげと眺めていると、後ろから声を投げかける人物が一人。

「あー、ミク姉!人のチョコ取らないでよね!」

後ろから声をかけてきた人物―リンは、素早くミクに割り込んで手に取っていたチョコレートを奪い取る。
どうやらミクはリンのチョコレートを手に取っていたらしい。
後ろを振り返れば、怒ったように頬を膨らませたリンがいる。不機嫌なのは仕方ないのだろう。

「リンちゃん、ごめん」
「別に謝らなくてもいいってば」

ミクが若干身を引いたのを気にしたのか、リンは乾いた笑みを浮かべていた。
ルカが生まれる前の出来事があってからもリンは相変わらずのように接してきてくれる。完全にリセットとはいかないけれど、リンは吹っ切れたようで適度な距離を保ってくれていた。
リンのことが気になっていただけに、態度で示す「気にするな」というメッセージはミクにとってはとてもありがたい。

「リンちゃんも誰かにチョコ上げるんだ?」
「まあねー」
「もしかして、わたし?」
「うわ、人のことフッたくせに何寝言言ってるのこの姉は」

冗談交じりの会話に笑いながら、ミクはじっとリンを見つめる。どこか遠くを見るような優しい瞳は想い人のことでも考えているのだろうか。
どこか安心感を与える笑顔に、ミクはクスッと微笑む。

「私の作ったチョコが食べたいって言ったから仕方なくだって」
「その割には楽しそうだね」
「そんなことよりミク姉はどうなのさ?」

リンは赤い顔をごまかすように強引に話題を変えて、ミクをじっと睨み付けていた。
これほどまでに慌ただしいリンも珍しく、おそらく初めてかもしれない。それだけ充実した日々を送っていることに、ミクは安らぎを覚える。
妹が離れていくことにほんのりと嫉妬に似た寂しさも混じっているけれど。

「うん、大丈夫だよ」
「えー、なんかつまんない」
「…リンちゃんちょっとひどくない?」
「そんなことないよ?」

なんだかんだで二人は顔を見合わせながら笑い声をあげていた。おそらく二人ともこれから起こる出来事に胸を高鳴らせている。
不安がないというわけではない。ただ、笑って心を落ち着かせたいだけだ。

「それじゃ行ってくるね」
「うん、頑張ってね。リンちゃん」
「ありがと。ミク姉こそ頑張りなよ。フラれたって慰めてあげないからね!」
「リンちゃん!」
「じゃあねえ!」

ミクが声を上げるよりも早く、リンは部屋を飛び出していく。あっという間の展開に、行き場のなくした怒りを霧散させるようにミクはため息を吐いていた。
もちろん本気で怒っているわけではない。感謝してもしきれないくらいだ。
改めてミクは自分の手に取っている包みを軽く握りしめる。
ルカに対する自分の気持ち。それがどれだけ自分の想いを伝えられるかわからないけれど、ルカが喜んでくれたらそれでいいと思う。
とりあえず大きく息を吸い込んで、振り返ればそこに見知った顔が一つ。

「…ルカちゃん!?」

気配を感じさせなかったこと、唐突にルカが現れたことにミクは驚いて飛び上がっていた。
驚きのあまり背筋が伸びきってしまっているのだが、ルカがそのことに気づいている様子は見られない。
不思議そうにミクを見つめ、そのことがミクの心拍数を上げていく。

「楽しそうですね?」
「み、見てたの?」
「はい、リンさんとすごく楽しそうでしたね」

おそるおそる問いかけるミクに、無情にもルカは首を縦に振る。おそらく初めから見られていた。その事実はさらにミクの鼓動を早めるには十分すぎる出来事だ。
そんなミクを他所に、ルカは冷蔵庫の扉を開けると小さなラッピングを取り出していた。
残されていた二つのラッピングの一つに、ミクは目を丸くする。
てっきりメイコの作ったものとばかり思っていたから意外といえば意外だった。
少なくともチョコレートを作っていたそぶりを見せていなかっただけに、淡い期待がミクを支配する。

「ルカちゃん、もしかしてそれって…」
「はい、ミクさんから話を聞いてましたので。せっかくなので作ってみました」

口調は相変わらず抑揚が感じられないが、そんなことはどうでもよかった。
急に胸が締め付けられて、そこから一気に弾けて心が解放されるような感覚は非常に心地よい。
ミクの心はすでにここに有らずといったようで、頬が緩みっぱなしだ。
そんなミクのころころ変わる表情が不思議に思えるのか、ルカは首を傾げている。

「…ミクさん?」
「あっ、ごめんねルカちゃん」

自分でも笑いをこらえているのを自覚しながら、ミクは自分の持っていたチョコレートを差し出していた。

「ありがとルカちゃん、早速だけど開けてもいい?」
「ええ、どうぞ」
「やった!」

ルカに促されるまま、ミクは丁寧にラッピングを外して中身を取り出していく。
シンプルな包装の中から出てきたのは、見た目はとてもきれいで、初めて作ったとは思えない出来のものであった。
自分で作った少々いびつなチョコレートを思い出して、嫉妬にも似た感情がミクの胸の内を過ぎていく。
羨ましそうな視線を送りながらも、ミクはチョコレートを口の中に放り込んでいた。

「…ん?」

口の中で広がる違和感に、ミクは思わず顔をしかめてしまう。
見た目は甘そうではあったが、思い描いていた味わいとは違ったギャップに目を白黒とさせていた。

「…どうかしましたか?」
「あのねルカちゃん、言いにくいんだけどちょっと苦いの」
「え…?」

これまで無表情といったルカの様子にわずかに陰りが見える。いつもクールに見えるルカが動揺しているのはめずらしい。
なんとなくではあったが、ルカの変化が面白くてミクは少しだけつついてみる。

「ねえルカちゃん。どんなふうにチョコを作ったの?」
「その…、チョコを溶かして固めてみたんですけど」
「もしかして直火で?」

言葉を失い、固まってしまったあたり図星なのだろう。見た目はきれいに仕上がっているのだから、今回は知識の不足が原因だという考えがミクのうっすらとした意識を通り過ぎていく。
だが、今ミクの感情を支配しているのはもっと別のことだ。
―ルカの中に自分が存在している。
その事実だけで胸が張り裂けそうになる。だから次に言葉を紡ごうとしていた時には、ミクは満面の笑みを浮かべていた。

「大丈夫だよルカちゃん。すっごく美味しい」

慰めでもなんでもなく自然と出てきた言葉がルカの心をほんのりと温める。ルカ自身は気付いていないのか目を白黒とさせていた。
そんなルカが可愛くてたまらなくて、ミクはじっとルカに見入っている。まじまじと送るその視線に、ルカもまんざらではない様子だ。

「そうだ、ルカちゃんにまだチョコ渡してなかったよね。受け取ってもらえるかな?」

すっかり渡しそびれていたチョコレートを取り出して、ミクはおずおずと差し出していく。
そんなミクに微笑みを返してチョコレートを受け取ると、ルカはほんのわずかにだけれど唇を釣り上げていた。
今まで見たことのなかったルカの笑顔は引き込まれてしまいそうなくらい魅力的でミクの頬の温度が上昇していく。

「ルカちゃん、笑った…」
「…え?」
「ルカちゃんの笑顔すごくかわいい」

恍惚の表情を浮かべて、ミクはルカの頬に手を伸ばしていた。間近から覗き込まれるミクの視線から目が離せなく、ルカは動揺している自分に戸惑っている。
いつの間にやら唇が重なってしまいそうな距離にいることに気が付いて、ミクとルカは慌てて距離を取っていた。

「ご、ごめんねルカちゃん?」
「いえ、大丈夫です」
「……………」

不意に訪れた不思議な沈黙は二人にお互いのことを意識させてしまう。どちらから話しかけようかときっかけを見つけ出そうとすることすら楽しい。
もっとお話をしたい。もっと触れ合いたい。そんな想いが二人を支配する。

「あの、ミクさん。チョコレートをいただいてもいいですか?ミクさんのレシピとか教えてほしいです」
「うん!わたしのでよかったらいつでもいいよ!」

何よりもルカのほうから歩み寄ってくれたことが嬉しくて、ミクは何度も頷いていた。
ルカの笑顔がもっと見たくてミクは身振り手振りを大きくしてルカに話しかけていく。
ルカの心は芽生えたばかりで、相変わらず感情をうまく表現できない。しかし、そんなミクと話すのが楽しいのか、ルカは終始頬を緩めているばかりだ。まだまだそんな風に自覚しているわけではないのだけれど。
とはいえ、お互いのチョコレートの話題を延々と繰り出している二人の距離は着実に縮まっていく。そんな楽しそうにしている二人の姿は実に幸せそうな雰囲気を醸し出していた。

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